いくつかのクラスではお話ししたので、覚えている方もいらっしゃるかも?
村瀬孝生さんの『シンクロと自由』(2022年 医学書院)という本。
介護という概念をヨーガ的とも思える視点で捉えていて、個人的にとても響いた言葉たち。
興味のある方はぜひ本を読んでみてほしいのですが、
勝手ながら、ちょっと長いですけど一部を抜粋させていただきました。
(許可取ってないけど、引用入れているから良いかな。むしろ半分宣伝。笑)
皆さんは読んでどう感じるのだろうか。
感想がある方はまた聞かせてくださいね。
(もし辛い介護体験を想起する方は、どうぞ無理せず読み飛ばしてください。)
ーーーーー(下記抜粋)ーーーーー
”老いる=老衰=機能低下?”
口より雄弁な目力。見えないものが見える瞳。終わることのない話。巫女のような語り、独創性あふれる作話。エネルギッシュな混乱。危機的状況にある自分への他人事感。信じる力に満ち溢あふれた主観。追従を許さず展開していく思考。瞬発力のある知性。体力と比例しない持続性。時空を超える跳躍力。
これらの表現は、否定的に捉えられがちな老いの姿を肯定的にしてみせる単なる言い換えではない。老体には僕らが持ち得ない躍動がある。それは、これまでの社会生活で得た概念から解放されることで発揮されていると思えた。失うことで新たな生き方を得ているように見えた。
不自由になる体は私に新たな自由をもたらすのである。時間の見当がつかないことで時間から解放される。空間の見当がつかなければ場に応じた振る舞いに囚われることもない。たとえ寝たきりになってもその場に縛られてはいない。子どもの顔を忘れることで親の役割を免じられる。憶えていないことで毎日が新鮮になる。怒りや憎しみが留まりづらくなり喜びが訪れやすくなる。
それらは自己像が崩壊することであり、私が私に課していた規範からの解放でもある。私であると思い込んでいたことが解体されることで生まれる自由なのだ。
では私は私を失うのだろうか。そうではないと思う。私が変容して新たな「わたし」へと移行するだけである。介護とはその過程に付き合うことではないだろうか。
体はますます不自由になりながら、社会にある概念的なものから、ますます自由になっていくのが老いとするならば、そこにはどのような世界があるのだろうか。
ーーーーー(抜粋終了)ーーーーー
私たちはみんな時間の経過とともに歳を重ね、変化していきます。
それ自体は、マイナスでもプラスでもなく、ただの変容。
それに脚色しているのは、私たち自身であり、周りの人や社会なんですよね。
もしその変容があらゆるものからの自由へのプロセスだとしたら?
自分が持つ「老い」という概念を、もう一度問い直してみたいと思うのでした。
7月もよろしくお願いします^^
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