ヨーギーの皆様
ナマステー
空の雲が変わり、秋の虫の音が心地よく聞こえてくるようになりました。
9月になり、今年も終盤戦?のような雰囲気もありますが、
心ばかり先走らず、一瞬一瞬の移ろいゆく美しさを感じながら過ごしたいものです。
さて、聖典『ヨーガ・スートラ』の話の続き。
「苦しみの根源であるAvidya(無智、無明)とは、
①永遠でないもの、②清浄でないもの、③苦しみ、④私でないもの、に対して、
①’永遠、②’清浄、③’快楽、④’私である、と認識することである」(Y.S2.5)
私たちが無智であることが苦しみの根源だと。
時に、命が永遠ではないことを忘れてしまったり、
「女/男はこうあるべき」「○歳になったらこうあるべき」などとレッテルを貼ってそれ以外を不浄としたり、
甘いものやギャンブル依存をやめられなかったり、
この肉体や所有物に執着したりする。
(グサグサ刺さります。。あ、今のところまだギャンブル依存ではないと思います)
自分の認識が自分を苦しめているとしたら・・・?
ヨーガの聖典は、自分の考え方の癖を見直すことができるので、
時々開いて、日常生活に落とし込んでいくのが楽しい作業です。
(これ自分の考えと合わないなーでもOK)
なんせこれが4〜5世紀に編纂された書物ってすごくないですか?
皆さんにとって、
①永遠でないのに永遠だと思っているものってなんでしょう?
②不浄なものを清浄だと思っていることは?
③苦しみを快楽と思っていることは?
④私でないものを私だと思い込んでることは?
私にとってヨーガの聖典群は、いろんな気づきをくれる道標。
そして「自分は無智である」ことを受け入れるとちょっと肩の荷が下ります。
皆さんにとっても、何か役立つ話があると嬉しいです◎
9月もよろしくお願いします^^
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
〈お知らせ〉
◎クラスお休み
9/18(月・祝)
◎カウンセリングしながら、自分のペースで今の自分に必要なことを実習するプライベートレッスン開催中。
(60分¥5000〜 ※出張の場合、交通費別途)
日時等は応相談。興味のある方はお気軽にお声がけください。
コメントをお書きください